高橋良太さんインタビュー(2014年FC刈谷で引退)
ーはじめにー
FC刈谷で9年間プレーされた高橋良太さんについて現役時代の話から現在の話などをお聞きしました。
ーFC刈谷に加入した時の印象ー
当時は、きよくん(平林輝良寛さん)から練習参加してみないか?と誘いがありスタートしました。
名古屋グランパス時代からは環境が変わりましたが、(当時FC刈谷は夜練習)選手一人一人のサッカーに対する取り組み方は変わらずしっかりしてました。
当時の監督の安原さん(安原成泰さん)のサッカーの考え方は今までの僕にはなかったかなと思います。
例えばボールの持ち方にしても一つ一つ教えてもらうという経験がなかったのでとても新鮮でした。
ー印象深い選手ー
いっぱいいすぎて絞れません!
特にこの選手!というよりは、みんなで尊敬しあってやってきていたので、誰が印象深いとはあまりないです。
一人一人が責任もってプレーしていました。
ー当時のサッカーについてー
ボランチの選手ですがオフェンス、ディフェンスどっちが得意だった?
んー。好きなのはオフェンスです。
攻撃していた方が自分の中では楽しかったので、常に攻めておきたいという気持ちはありましたけどやっぱりそこで守備が疎かになってしまうと結局簡単に崩れてしまうのでそこも意識しながらやっていました。
好きなシーンは?
自分がボランチで相手からボールを脱出してそこから一本のスルーパスでゴールに繋がるシーンが好きでした。
ー当時の自分についてー
よくとっつきにくいと思われていたと思います。若いころは正直言うとはちゃめちゃでした(笑)
試合中は勝つことしか考えていなかったので、特に血の気がたっていましたね(笑)
それを止めてくれていたのは康平さん(酒井康平さん)でした!その辺のバランスもとってくれていましたね。
↑酒井康平さん
ー1番印象に残っている試合ー
一番印象に残っている試合というよりも、今でも忘れることのできない試合は2009年の入れ替え戦(vsツエーゲン金沢)で降格してしまったことです。
この悔しさは今でも忘れることができません。
試合結果→http://www.jfl.or.jp/archive/2009/league/playoff.html
ー引退を決めたきっかけー
自分の想像してる体の使い方が出来なくなってしまったのが一番です。
本当に数センチの違いなんですけど、そこが違ってくるとどうしても自分の最高のパフォーマンスでプレーが出来なくなってしまった。
続けようと思えば今でもできていたかもしれないけどやっぱり自分の中では違いました。
ー現在についてー
柔道整復師の資格を取得し、ハート接骨院(知立市)に勤めさせていただいています。
柔道整復師になろうと思ったきっかけは、現役時代は自分自身の怪我が多かったので、僕の怪我した時の思いもそうですし、怪我との向き合い方、気持ちの作り方は経験してきているのでその部分を少しでも伝えていけたらいいかなと思ったからです。
怪我をしてしまうとパフォーマンスが落ちてしまうので、怪我をしないような体づくりなど未然に防ぐ取り組みをしていけたらいいなと思ってます。
ー今のFC刈谷へアドバイスー
チームとしてどれだけ戦えるか。
ただ一人だけで勝ち切れることはないと思うので、チーム一丸となるところだと思います。
なのでみんなが同じ目標をもって同じところを目指して進んでいけば必ず勝利に近づくと思います。
ーFC刈谷に関わる方へメッセージー
今年は新型コロナウィルスの影響により、難しい年にはなっていると思いますが、JFL昇格という目標は皆さん変わらずにあると思うのでそれに向かってファン・サポーターの皆さん含めてチーム一丸となり戦ってもらいたいと心から願っています。
ー高橋良太さんプロフィールー
■生年月日
1986年12月28日
■所属クラブ
2005年~2006年 名古屋グランパス
2007年~2010年3月 FC刈谷
2010年4月~12月 ツエーゲン金沢
2011年~2014年 FC刈谷
現在のお勤め先:ハート接骨院(知立市)